四梭郭・権現台場における降伏

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 五月十一日の戦いの後、四稜郭や権現台場は岡山藩が警備していたが、五月十三日早朝三時、榎本軍工兵隊の頭、吉沢勇四郎が降伏を申し出、続いて十四日夜十一時には二人の榎本軍兵士が謝罪帳を持って降伏して来た。官軍はこの者たちを調べた結果、ほかに多数の降伏希望者があることを知り、この内の一名を上湯川村に帰し、他降伏希望者の案内役とした。この結果十五日朝七時には銃器、佩(はい)刀その他を携えた榎本軍兵士二六二名が降伏を申し出て来た。降伏者とその持参品は、砲兵隊九六人、見国隊三〇人、衝鋒隊一三六人計二六〇人、小銃二二〇挺、胴乱二一五、佩刀一一八本、サーベル一九本であった。その後十六日朝十一時には更に八二人の者が今度は権現台場へ降伏して来た。降伏人数は額兵隊八人、陸軍隊九人、衝鋒隊四四人、見国隊七人、伝習士官隊一三人、一連隊一人、合計八二人、持参品は小銃三挺、佩刀四二本であった。