亀田地域においては、明治十三年戸長役場設置の時から総代人が置かれており、各村より二名ずつの総代人が選出されていた。『新北海道史』(第四巻通説三)によれば「総代人は郡町村における金穀公借、不動産売買、土木起功の議決を本務……」とあり、亀田地域では主として協議費(明治三十三年区町村費支弁費目による区分で、会議費、区町村費取扱費、区町村費滞納処分費、土木費、教育費、教育補助費、衛生及病院費、警備費、基本財産造成費、勧業費)の使用方法などについての議決機関として活動していた。
総代人の被選挙権は、二十歳以上の男子で百円以上の地券を有する者、選挙権は管内に不動産を所有する二十歳以上の男子となっており、総代人の任期は二年であるが、二名の内一名づつ交代に改選された。『明治十七年 亀田郡役所伺届録 庶務課』中の亀田郡村総代人名簿から各村の総代人の氏名を挙げると次のとおりである。
据撰 亀田村 月 館 吉三郎
再撰 亀田村 吉 村 貞次郎
据撰 鍛冶村 杉 崎 由太郎
改撰 鍛冶村 水 島 順 作
据撰 神山村 亀 井 萬 蔵
改撰 神山村 亀 谷 熊次郎
再撰 赤川村 山 田 平左衛門
改撰 赤川村 川 島 勘 吉
再撰 石川村 輪 島 又 七
改撰 石川村 坂 本 徳 松
再撰 桔梗村 川 井 三之丞
据置 桔梗村 松 本 平 七
なお、総代人制は明治三十五年四月、二級町村制が実施されるまで続けられた。