明治十九年七月、園田実徳(注)は旧桔梗野牧羊場の払下げを出願し、翌二十年三月許可を受け、同地を「園田牧場」と改称した。同時に牧牛「ハイグレード」種、「短角」種合計一九頭、牧馬雑種、和種合計一四頭の払下げを受け、更に本道産の牛馬数十頭を購入し、これらの牛馬によって牧場を開始することになった。開始時の園田牧場の面積は五三六町歩で、そのうち成墾地五二町歩、樹林地二一町歩、家屋一六棟、厩三棟、事務所、倉庫、看守所など六棟という規模であった。その後明治二十参年隣接民有地を買収し、牧地を広げ、一方種畜においては明治二十一年以来英米その他各地より牛馬を購入し、次第にこれらの改良を行い、明治二十三、四年ころには不良牛馬をことごとく売却して良種のもののみ飼育した。その後更に改良に努め、種馬、種牛を近郊町村民に貸付けた。明治初期には、いわゆる「道産馬(どさんこ)」が主に使用されていたが、明治三十年代前半には農耕用、荷馬車用、乗合馬車用、乗馬用として西洋系の馬が亀田地域で利用されるようになったが、これは開拓使の政策とこの園田牧場の影響が大きかったものであろう。
種牛・種馬とその交尾料(明治三十九年)