学校林

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 学校林は生徒に実際に植林を行わせ、これによって愛林の精神を養い、心身の鍛錬をしようとするもので明治中期より文部省を中心に奨励されたものである。明治二十八年五月、当時の文部次官牧野伸顯は尋常師範学校長会議で、アメリカで行われている樹栽日を例としてあげ、わが国においても学校樹栽日を設けることを提唱している。また明治三十年五月文部省は「小学校等における樹栽のため官有地の貸下払下方」に関する通牒(ちょう)を出し地方長官は学校林のために便宜をはかるように命じている。
 
   学校生徒をして樹栽せしめるため、官有森林原野の貸下又は払下を望む向有之候はば、国有として存置を要せざる箇所において制規の許す限り便利を与えられ、かつ貸下方法は「部分木仕付条例」によらしむるも差支なし。
 
 亀田地域ではいつころから学校林の制度が採られはじめたものであるか、明らかではないが『開拓使事業報告』第四編に次のような記事が見られる。
 
○明治十四年四月鍛冶学校、七重勧業試験場より桑苗千五十株をゆずり受け蕨野に植える。
○同年同月赤川学校七重勧業試験場より桑苗九百本をゆずり受け植栽する。
○同年神山学校七重勧業試験場より桑苗七百五十八株をゆずり受ける。
 
 その後『明治三十一年度末財産集計表』によれば、次のように記されている。

明治三十一年度末財産集計表

 また『明治三十年分基本財産ニ関スル書類 亀田外三郡役所』によれば、亀田小学校学林立木売却について、
 
  甲第三三四号 学林立木売却及収入財産消費ノ儀ニ付伺  (部分)
 校舎家根葺替、教室増築、教員居宅二棟及ヒ物置一ケ処新築ノ費用ヲ積リ、亀田村総代人会ニ協議ヲ遂ケ候処右ハ目下何レモ急務ニシテ此儘ニ観過スルコト能ハサル儀ナレドモ、年々学事ノ進歩スルト同時ニ経費相嵩ミ、此上各戸負担スルコトハ到底堪ヘサル儀ニ付キ、其財源ヲ付属学林ニ相求メ度、其訳ハ学林総反別百四拾六町六段四畝六歩内ニ存スル樹木保護ノ為メ看守人ヲ雇入レ、月々相当ノ給料ヲ与ヘ置キ候得共、学林地積ノ広キ一人ノ能ク行届ク処ニアラス。然ルニ漸々四境ノ樹木減少スルト共ニ、多少盗伐アル免カレスシテ、前年マテ地租及地租割ノ負担及看守人ノ費用ニ支出アルモ収利相償ハス候間、此際該樹木ヲ売却シテ目下急務ノ費用ニ充テ年々苗木植付ノ方法ヲ設ケ、而シテ売却代金ノ内ヲ以テ確実ナル銀行ニ預ケ利殖ヲ計リ候時ハ一挙両金ノ得策ニ有之候間、右樹木売却ノ件及教室増築、其他臨時支出ノ儀総代人会ニ於テ別紙写ノ通リ評決致シニ付テハ御認可相成候様致シ度、尤モ御認可ノ上ハ着実ナルモノニ命シ、積書及仕様書図面等調製シ予算内ヲ以テ成功スル見込ニ有之候条、関係書類相添へ此段相伺候也。
        明治卅年四月二十一日
                  亀田郡亀田外五ケ村
                        戸長 神谷 小太朗 ㊞
         亀田外三郡長 木村 広凱 殿
 
 と記されており、さらに同書、亀田村総代人会決議報告書は次のように記している。
 
   第一号 決 議 書
   一、亀田小学校付属学林
   亀田郡亀田村字常山五番山林五十八町六反二畝十三歩  同郡鍛冶村字蓬揃一番山林五十町四段二十七歩
   同郡同村字二番山林三十七町六反二十六歩       合反別百四十六町六反四畝六歩
   右地積内ニアル立木概数二十八万六千六百十六本
    此見積価額金三円(ママ)二千五百円
   以上競争入札法ニ依リ売却シ其収入金ヲ以テ三十年度亀田小学校経費臨時支出予算ニ議決ス