亀田学校児童の褒賞状
学校教育の創始期において、あらゆる人たちの協力により学事の向上が見られるようになった。函館新聞(明治十五年九月二十八日)は「各校の生徒の入学が日を追って盛になったことは、即ち人民一同学事の尊きを知ったからである。」と報じている。同新聞が同年十月十日「感心」と題して、亀田学校の生徒で海岸町田畑房太郎長女まつ(十年八月)という子供の成績優秀並びに性質温和にして模範的なこと、亀田村高村竹次郎次男若三郎(九年三月)は過日路上で銅貸四銭を拾得し、早速その届書を認め戸長役場へ届け出たことを報じ、平日学校に在って教員の教えを守り、心掛の宜しきによるものと賞讃した。