二級町村制施行当時の会議録によって、当時の学校教育について、村民の意識を知ることができる。
一 学務委員について
学務委員は選挙によって、佐々木三太郎、津島松蔵、水島弁蔵、成田三五郎、内田新右衛門、青島菊次郎、田原徳蔵、近江孫吉の八名が当選し、それぞれ村内小学校のため尽力していた。また後日補欠選挙で西田惣三郎が当選、改選の時には宮原末吉、山村常吉、山崎栄造、名和徳兵衛、岩崎恒三、田原栄作が当選した。
二 学校増築用として古家材買入れ
明治三十六年五月十九日には、三百円未満で古家材を買入れることを議決、財政上苦しかったことを物語っている。
三 教員宿直料其の他給与に関すること
教員優待は当然のことながら、本村の財政上意のままならず両三年間は校長三円を三円以内に、正教員、准教員、代用教員を二円以内とせざるを得なかった。
四 鍛神小学校高等科廃止に関すること
このことについては、前述しているが、当時小学校の修業年限は四か年であり、高等科はその上に置かれていたため、進学者は少なかったこともあり、また実利的な立場からは早く卒業して、家業を助けることが大切という考え方があったと思う。