亀田地域駐在所の沿革

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 〔桔梗駐在所〕明治三十三年の『函館新聞』には、「桔梗村駐在所の新設 函館区の佐藤署長は道庁に対して交渉した結果、区費の予算を得たので、近い中に当署定員より巡査一名の派遣を決定」と書かれ、村民を喜ばせたが、その年には実現せず、実際に設置されたのは明治三十七年であった。当時桔梗村は亀田分署の区域に属していたが、分署より遠く、何かと不便でもあり、地元有志の木下作太郎、寺島紋次郎、藤谷栄吉、守田岩雄、佐々木久松らが設置運動を行い許可を受け、旧桔梗小学校の古材で桔梗巡査駐在所を設置した。
 
 〔赤川駐在所〕明治十四年地元民の要望により、亀田村大字赤川村に草ぶきの民家を改造し、赤川巡査駐在所を設置した。その後明治二十年赤川小学校の古材をもって赤川三四五番地に建築移転した。(函館中央署百年史)