田地・畑地の面積

309 ~ 313 / 1205ページ
 しかし、田畑の開墾は毎年わずかながらも続けられていたが、反面、宅地、工場、建物などのために潰廃していく田畑もあった。
 その例を昭和十年以降の統計から見てみると次のとおりである。

開墾・潰廃された田畑


潰廃地の理由(昭和一三年)

 昭和十九年になると軍用地のために田がつぶされていくが、その他の理由も含めると、一年間に一六町三反の田が減少した。
 
 稲作付面積前年比較増減理由調べ(昭和十九年)
  本年割当面積  四八四町八反   本年作付面積    四五九町九反
  前年作付面積  四七六町二反   前年比較増減面積  一六町三反減
 
一六町三反歩減少の理由
 ・田の潰廃による植付減   三反
 ・軍用地工場敷地等地目変更による減  九町三反
 ・畑地に還元による減  三町○反
 ・本村居住者の耕地が他市町村居住者の耕地となったための減  一町一反
 ・其の他による減(苗代跡地及不作付地等)  二町六反
    合 計  一六町三反
 
 耕地増減面積(昭和二十年)
 昭和十九年八月一日から、昭和二十年七月三十一日までの一年間で、亀田村では原野を開墾して畑が七反歩増加し、四反歩の畑を田に転換させた。
 しかしその反面、戦争の影響を受け、かなりの田畑が軍用地にされた。
 減少の理由と耕地面積は次のとおりである。

耕地面積の減少(昭和二十年)

 亀田村の田畑の広さを比較すると次のとおりである。

田畑の面積

 昭和十九年から二十年にかけて田畑の面積が減少したのは、軍用地にとられたためである。(「戦争」の項で後述)また、地区別の田畑の面積は次のとおりである。

各地区の田畑の面積(昭和二十年の例)