亀田村で飼育されていた牛は乳牛で、種類はエアシャー種とホルスタイン種がほとんどで、昭和九年からゼルシイ種が一、二頭顔を出す程度であった。エアシャー類は、
スコットランド原産で、小型であるが、体質は強健で気性も荒い。雌の平均体重は約四五〇キログラムで、ホルスタイン種の六七〇キログラムより二二〇キログラムも軽い。乳脂率は五ないし六パーセントでホルスタイン種の二倍近くも高く、バター製造に適していた。しかし、乳量は年間平均約四、〇〇〇キログラムでホルスタインより少ない。色はかっ色と白、または赤茶色に白のまだらである。
エアシャー種
頭数
亀田村で飼育されていた牛の数は平均一〇〇頭あまりで、ピークは昭和十三年の一八二頭、昭和十四年の一八三頭で、昭和十五年になると一四二頭、昭和十六年一一六頭と下降線を描き、昭和二十年にはわずか五五頭に減少した。その原因はなんといっても終戦前後における食糧難と人手不足で、牛の飼料作物を栽培するより、人間の食料を畑にまくことが先決であった。
従って、牛を畜殺して肉をとり、金にかえてしまう農家も出てきた。