開拓使は、明治時代から苗木の下付、苗圃の設置につとめた結果、漸次各地に造林地がみられるようになった。特に本道寒冷地に最適のからまつ(落葉松)苗の無償交付を始めてから、民間における造林熱は大いに高まった。
道では大正時代に入ってもからまつ、すぎ、ひのき、欧洲とうひなどの苗木の無償交付を積極的に進め、特に大正六年から同十四年までは、「樹苗補助規程」を設け、からまつの苗木養成に補助金を出して民間の育苗を助成した。しかし、計画的植伐経営を行っていた国有林、道有林に比較し、民有林は、好況時代の濫伐あるいは、山火、野ねずみ、野兎の被害、造林思想の欠如、林地課税の過重などによって、ますます荒廃地が増加していった。
全道の荒廃地は大正六年には二七万四、八九八町歩であったが年々増加し、十六年後の昭和八年には実に六八万四、八〇四町歩に増加していった。道は大正九年「荒廃地造林補助規程」を設け、荒廃地造林に対し助成を始めた。民有林の造林奨励は、大正十五年「第二期拓殖計画」が樹立されるや積極的に樹苗無償交付と特殊樹種造林補助を行い、一般造林普及につとめる一方、農耕地の保護、増収を図るため耕地防風林造成補助も行うことになった。