炭焼きは赤川の奥で行われていた。それはダムの上流の方面に、炭の原料になる、ぶな、なら、いたやなどの樹木が多かったからである。炭材は主に公有林から造林のために切り倒した木や、森林の間伐、帯状に切り取った除伐、樹齢が古くなりすぎた古損木などの木を払い下げてもらってあてた。炭焼きは、それら原料になる木がある付近で、硫黄分の含まない適当な土がある場所を選び、釜、炭小屋、それに馬の立場という道産馬をつないだり、荷物の積みおろしのための足場を作った。これらはすべて山の中の傾斜地に作らなければならなかったから、大変な苦労であった。木を切る、釜まで木を運ぶ、木を積み上げる「あげたで」などの作業のために、一〇人以上の炭焼き人夫を雇って、酒を飲ませては働いてもらったという。