精米

439 ~ 440 / 1205ページ
 明治時代後半につくられた亀田村字田家の〓吉川精米場、同村字中道の〓近藤水車場、神山村の〓近江精米場、松本精米場、〓佐藤水車精米場、〓片桐精米場、〓逢坂精米場、〓対馬精米場、軽海精米場などに加えて、大正時代に入って次の四つの精米場が産声をあげた。

[精米場]

 このころの精米場はすべて水車の力によっていたが、これら精米場の推移をみると、大正十年ころからだんだん廃業していくものが増え、昭和二十年には次の二箇所になってしまった。
 
 亀田村農業会精穀利用工場 これは昭和町一七〇番地にあって、亀田村農業会で経営していたものである。
 同工場の昭和二十年の実績は、精米一〇、一八二俵、四、四〇六円、作業日数は三三七日であった。
 
 横田精穀工場 赤川通四三番地にあった。横田武の経営によるもので、昭和二十年精米高五、〇〇〇俵、二、五〇〇円、作業日数は三〇〇日であった。