教育費については、その予算調査を学務委員会において検討し、教育向上に努めた。昭和十四年度、同十五年度の教育費の大要は左のとおりである。
[昭和十四年度、十五年度の教育費大要]
この予算に対し、浜口一、小熊亀蔵、内田由太郎、鈴木重次郎、本谷勝太郎、木村時太郎、桜田浅蔵およびその後の委員成田市太郎、星沢由太郎、上野金吾などが十分協議して、教育振興のため尽力した。
イ 村長の事務引継書と教育
昭和十七年二月、村長坪山照次退職に際しての事務引継書には、教育関係の記録が詳細にわたっているが、理事者が教育向上のために熱意を傾けていた。教育関係の記録は次のとおりである。
「一 国民学校増築
1 桔梗 赤川両校増築
両校共建築後相当年月を経たること、さきに校地の拡張を行ったので、これに伴う改築を要するけれども、戦時物資の不足と起債基本財産支消等困難につき、適当の時期に改築を要するものである。
2 鍛神校増築
現在職員室を教室に充当使用中につき、前記同様適当の時期に増築を必要とするものである。
二 校地交換拡張
亀田校校地拡張
現在亀田校の校地は狭隘(キョウアイ)且不規則形状を呈しているため、校舎の増築に不便である。隣地の地主石館友作の寄付、買収又は同所にある村有地との交換等種々交渉しているが、未だ決定していないので、今後更に折衝するものである。」
国民学校の増改築については、村理事者、村会議員、学務委員等が努力したが、戦時中でもあり、思うにまかせず、ついに三校共戦後に持ち越された。しかし、村長が事務引継書にこのような事業計画を明記している点は、教育に関して日常尽力していた証左であろう。亀田国民学校の校地は、その後土地交換によって解決した。