決戦教育措置要綱と国民学校高等科

481 ~ 482 / 1205ページ
 昭和二十年三月、国民学校高等科以上の生徒は同年四月一日より翌年三月三十一日まで授業を止めて、食糧増産、軍需生産、防空防衛などの決戦に緊急な業務に総動員されることになった。本村の高等科のうち、桔梗、赤川、鍛神国民学校の場合は農業を主体として、食糧増産の家業の手伝いを直接行うことができたが、亀田国民学校の高等科の男子は、耐火煉瓦工場、鋳物鉄工場(昭和町所在)と女子は土管工場(昭和町所在)に分れて出動し作業に従事した。まさに決戦教育の姿であって、担任訓導の引率によって、労働に明け暮れする状態であった。こうした状態は二十年終戦によって解除されたが、学校教育における異例の措置であった。