昭和十二年の蘆溝橋事件以後は、国家の情勢が次第に変化し、戦時色を帯びるようになった。
各種団体は、国家の統制と強力な指導によって、組織が強化されるとともに、国家社会への奉仕機関の道を進むようになり、世を挙げて戦時体制の姿となった。
学校における保護者会、部落における青少年団、新しい翼賛壮年団等は銃後の力であり、在郷軍人は特に村の中心的な存在であった。
また、婦人会の場合、大日本連合婦人会は文部省所管であり、愛国婦人会は内務省および厚生省関係であり、大日本国防婦人会は陸軍省指導となっていたものが、昭和十七年二月統合して大日本婦人会となり、強力な団体として国家へ奉仕のため献身することとなった。