土方沼

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 土方沼は一年中豊富な水をたたえていた。ある時は遊びに来た子どもが沼に落ちておぼれかかったり、またある時は、老人と青年が入水自殺したこともある。昭和二十二、三年ころでもまだ、沼のそばには水田が十数町歩もあった。しかし、沼の付近の水田は毎年水不足に悩まされていた。そこで沼の豊かな水をその水田に利用することが考えられた。
 まず、沼の上に櫓(やぐら)を組み、その上に底に穴をあけた大きな樽をすえ付け、電動ポンプで水をその樽にくみ上げる。樽の底から一寸の厚さの板で樋(とい)を水田まで渡した。水は現在の通称たこ公園の近くの水田にまず下り、そこから幾つかの水田に分れ、最終的にはまた土方沼に流れ込むようになっていた。この指導をしたのは村役場の土木課の梅津(大野出身)という人であった。
 しかし、木製の樋では水が漏れるので、樋に土を流し込んで水漏れを止めた。やがてヒューム管に取り替えたりして金はかかったが、昭和三十四、五年ころまで大変良い米が取れ、大野や厚沢部方面からも見学者が訪れたという。(山本朝一郎談)
 また、前記の山本が昭和三十五、六年ころ、沼の近くの田で草とりをしていたら、大きな鯉が泳いでいるのが見えたので、沼に一度網を入れてみたところ、鮒、わかさぎ、鯉などが四斗樽に四、五本もとれたという。