伝染病の状況

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 亀田村では、大正三年に発疹チフスが大流行し、村民はその恐しさに驚愕(がく)した。その他ジフテリア、腸チフス、パラチフスが毎年発生したが、その状況は次のとおりである。

[伝染病の状況]

 昭和八年にはジフテリアは四二名、腸チフスは九一名、翌昭和九年には、ジフテリア四名、腸チフス一五名、猩紅熱二名の患者が発生した。うち腸チフスで一名が死亡している。
 肺結核で死亡する人数は他の伝染病より多かった。大正年間の死亡人数は次のとおりである。
 
 大正二年 八名・大正三年 七名・大正四年 一一名・大正五年 一一名・大正六年 一〇名・大正七年 四名・大正八年 一名・大正九年 七名・大正十年 一二名・大正十一年 九名
 
 伝染病患者の収容のために、明治三十三年五月、現在の昭和小学校の辺に隔離病舎を作った。その後、この病舎は昭和に人ってからはいたみもひどくなり、加えて昭和九年三月二十一日の大暴風で大破損を受け使用不能になってしまった。昭和十年二月二十四日の村議会において同隔離病舎の廃止を議決し、とりこわしてしまった。