戸長役場時代の事務組織は至って簡単なものであったようで、明治三十五年二級町村制として発足したころは、職員三、四名で事務担当処理も手不足をきたさなかったようで、村の発展と住民増加に伴って次第に事務量も多くなり、機構組織も逐年整備拡張されてきたのであるが、当時の役場機構状況について元亀田村長佐々木善松は次のように話している。
「大正十一年十月亀田村収入役に勤務した当時は、役場職員九名で事務処理ができて、事務分担は戸籍・税務・財務・教育で処理が間に合った。村会開催期間は二日か三日をとれば充分議案審議がなされた。村会議長には村長が当ることになっていた。昭和二十二年の地方自治法が施行されてからは、村会議員から議長が選任されることになった。また村会議員の選挙においては、議員数が十二名のところ得票数三五、六票で当選確実であったものだ。」
と述べているように町村議会の議長・副議長が議員中から選出されたのは、終戦後の昭和二十二年五月地方自治法施行後町村議会議員の選挙が行われてからで、それ以前は町村長が自動的に議長となる規定であった。