昭和四十年は地方財政の窮乏が全国的な傾向となっているなかで、亀田町は健全財政を守っていた。昭和四十年度の予算総額は五億八六九万円にもなり、事業に使う投資的経費が予算の五〇%以上を占めた。このことは急激な人口増加に対応して学校施設、道路整備、上水道事業など都市的形態をととのえるための仕事に重点がおかれているためであって、消費的経費は極度に切りつめられた。歳入の面では、町税など自主財源は三一%程度であった。
昭和四十三年度は地方財政窮乏化がなお一層つづくなかで、亀田町は健全財政を堅持していたが、昭和四十三年度町予算総額は七億四、〇五〇万円となり、昭和四十年度比較で約二億三、〇〇〇万円以上の増加となっていて、事業に使う投資的経費が二一・三%を占めた。
これはやはり引き続く人口増加に呼応して上・下水道の拡張、学校施設、道路整備など都市的基盤をととのえるための事業に重点がおかれているためで、このために消費的経費は極度に切りつめられた。特別会計としては上水道事業と国民健康保険事業の二つがある。
昭和四十六年度は、全国的傾向のつづく地方財政の困難が強まるなかにあって、亀田町は、なお健全財政を保持するために努力をつくしていた。
昭和四十六年度の一般会計当初予算は一四億六、四五六万九千円となっており、前年度一般会計当初予算にくらべて四一・八%の四億三、一五一万四千円の増加となった。この増加の大きな理由としては、年々つづいている人口増加に対応して、保育所・公営住宅の建設、下水路工事、学校用地の確保、道路整備工事など都市的基盤をととのえるためで、このためいきおい消費的経費は極度に切りつめられた。