亀田町は、昭和三十五年ごろから都市に隣接(函館)した地の利を得て、一般住宅の新築が目立って多くなり昭和四十二年に九三二件、四十二、三年には一、一九〇件、四十五年になって一、二六〇件と年を追って増加し、まさにこのところ建築ブームの観があった。
特に四十六、七年にかけては、中心住宅地(本町・富岡)から離れた地区(昭和・神山・本通)に住宅地が造成されるようになったことによって、市街地も次第に拡大されるに伴い、一面農耕地が蚕食的現象を示し、生産性の高い農耕地としての純度が失われつつある状態も出てきた。
これらの現象を食い止め、明るく住みよい街づくりをするための柱として、昭和四十五年十二月二十八日に「新都市計画法」による、「市街化区域と市街化調整区域」の指定を受けたのも、ここに理由があるといってよい。