本町地区飲料水不足現象は大正時代からで、井戸水、掘抜井戸で給水を保ってきていた。昭和六年函館市から雪印乳業株式会社函館工場が水道延長施設によって、一部工場住宅専用の連用栓使用の実現をみた。
終戦後戸数が逐年増加し、深刻な水不足をみるに至ったので、昭和三十年以来、井戸給水の増設を図り、対処してきたのであるが、昭和三十四年は字桔梗南部の自噴井戸に水源を求め約二・八キロメートルの配水管による導水第一期計画を立案のうえ、八月村議会において工事費三八〇万円の議決を得、着工の運びとなったが、道衛生部より簡易水道事業全体計画に基づく事業実施の指示を受けたため、再度協議、善後措置及び対策を検討の結果、次のとおり決定をみた。
ア 簡易水道事業による本町全体計画給水は、明三十五年度において実施する立案に基づき、道へ申請手続きをする。
イ 本年度応急対策として、速やかに本町高台付近に約一〇〇メートルのボーリングを施行し、水源を求めるほか、本町地区内に二、三か所井戸掘抜きをし、不足飲料水の緩和を図る。
ウ 函館市と給水に関する折衝を続けること。
エ 本町地区給水対策に併せ、昨年より急激に戸数増加を示している字富岡の一部が給水施設を必要とすると認められるので、これの施設計画も樹立する。
以上の説明にある水道事業計画は逐年実施に移されたのであるが、これが基礎となって亀田町の本格的かつ全町的な上水道事業へと、はいっていった。