戦後の道路事情

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 昭和二十二年以降、終戦処理、経済復興のため、また食糧自給のための資源増産が強く要求されていた状況にあって、一般幹線道路の維持修繕はようやくといった程度であった。昭和二十五年「国土総合開発法」が制定され、二十六年には「北海道開発庁」が発足して、道路整備は北海道総合開発計画の中で社会資本投資として行われることになった。
 道路の良否は産業振興に、村民経済に、文化生活に影響するところ極めて大きく、当村としても道路整備には鋭意努力してきたのであるが、元来道路工事は多額の費用を要することであって容易なことではなかった。それで昭和二十四年度より五か年計画を樹立し、これに基づいて幹線道路の整備から着手しているが、幸いに工事実施においては、道路愛護組合並びに村民の協力により相当の整備をみることができた。