道路新設が行われる一方、住宅新築が増加することによって私道も多くなり、これらの補修維持関係からも村道認定の必要が起こってきたが、昭和三十二年四月において次の四路線が村道として認定された。
東山一号線 二、一二五メートル(東山一二四番から一四四番まで)
同 二号線 一、八四〇メートル(同 一四〇番から一八一番まで)
同 三号線 三、〇〇〇メートル(同 一五八番から一四五番まで)
四稜郭線 一、六四三メートル(陣川五五番から九四番まで)
これで村道として認定されたのは七四路線となった。
こののちも路線認定はなされたが、昭和四十三年六月において、港・赤川・本通・鍛治・本町・桔梗地区の三、九五五メートルを「町道」に認定した。かくて昭和四十六年十月には「市道」は二一〇路線となった。