昭和二十三年、一村一校の念願のもとに、亀田中学校の独立校舎が、飛行場の真ん中に建設された時、桔梗・鍛神・赤川の三中学校が亀田中学校に統合され、桐花中学校(それまでは亀田中学校の名称)の生徒の収容は不可能なため、後日増築の上、一村一校にする方針であった。亀田小学校に併置していたため、亀田中学校と称していたが、前述のように一村一校の考え方から、新設の独立中学校に「亀田」の校名を譲って、「桐花」と改称した。やがて数年後は一村一校の方針によって、桐花中学校も亀田中学校に吸収統合される予定であった。
校名改称のころ