北海道教育大学附属函館小学校

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北海道教育大学附属函館小学校

一 亀田町に校地を求める
 昭和四十一年附属小学校用地買収計画が具体化し、校舎新築促進期成会が結成された。四十二年九月、当初計画の小学校新築用地は急に変更となり、亀田町字赤川通町二二九に土地購入計画が具体化し、更に建築の順序は小学校、中学校の順であったのを、中学校、小学校の順と変更することになった。
 四十三年校地第一次取得が十二月二十八日に決定した。
 四十四年三月二十五日、校地第二次取得、面積五万五、一九〇余平方メートルとなった。
 
二 新校舎建設
 四十五年四月、地鎮祭を行い、十一月十日竣工した。総工費一億六、五一四万円である。建築規模一階(約一、七五六平方メートル)事務室、教官室、校長室兼応接室、宿直室、教材室、プレールーム、公仕室、音楽教室、音楽準備室、保健室、家庭科教室、同準備室、教生室、図工室、同準備室、器具室、理科教室、同準備室、給食室、配膳室、アンサンブル室、休憩室、倉庫、低学年教室四、二階(約六二三平方メートル)、AV室、図書室、整理室、教材室、放送室、中学年教室四、三階(約四一五平方メートル)、教材室、高学年教室四、屋上、ペントハウス約二一平方メートル、体育館五〇〇平方メートル。
 施設設備はあらゆる点において模範的であり理想的である。
 
三 新校舎での生活
 『創立六十年史』 (北海道教育大学函館分校)の中に附属小学校について左記のように述べている。
「ア 転げまわるほどの嬉しさ
 イ きめ細い交通安全指導
 ウ 生活を豊かにし、体力づくりをめざす自由時間と四〇分授業
 工 自由的で創造的な児童会活動
 かくて大正十二年亀田の森に誕生した八幡町の旧校舎も亀田町赤川通町二二九の一にその居を移し、伝統ある教育方針をつぎながらも、新校舎建築移転という環境の変化をふまえて、未来にはばたく新しい発足をしたのである。」