桔梗小学校
一 校舎のうつりかわり(『桔梗小学校のあゆみ』より)
「昭和二十四年には、今の体育館ができあがりました。二十五年と二十八年には、それぞれ南側に教室がひとつずつつくられ、今のように、七つの教室ができあがりました。二十五年九月、中の沢分校ができました。
三十二年になって、校舎を大きくたてかえることになりました。それまでグランドのまん中ちかくにあったむかしの職員室や体育館などをとりこわし、もっと北側に二かいだての教室をつくろうというものでした。
土地が低かったので土もりをしてたてたそうです。二階で勉強するようになった五、六年生は特によろこんだそうです。その後、三十六年に図書室、四十一年に理科室がつくられました。四十二年五月、中の沢分校が独立して中の沢小学校となりました。」
二 統合校舎の問題
国道五号線と国鉄函館本線にはさまれた校地で、子どもたちの通学上の危険性、校地の拡張の困難性などから、校地を他に求め、中の沢小学校と統合する案が早くから話題となっていた。教育委員会では将来の計画として統合のことを検討し、とりあえず校地の取得を考え、昭和四十六年桔梗町三七九の二に公共用地として五、四〇〇坪を上田義春から買収した。
統合校舎の問題は、急増する地域の新設学校の対策に追われて、本格的に検討する機会がなく後回しになっている。
三 歴代学校長
歴 代 氏 名 就任年月日 在職期間
第一代 蛎崎 敏 明治三四年 四月 四年
歴 代 氏 名 就任年月日 在職期間
第二代 五十嵐数馬 明治三八年 三月 三年五月
第三代 生亀藤四郎 明治四一年一二月 一年八月
第四代 出戸 栄松 〃 四三年 四月 二年四月
第五代 清水 三貞 大正 元年 八月 七年一〇月
第六代 関屋 盛一 〃 九年 七月 二年一月
第七代 青木 毅 〃 一一年一〇月 五月
第八代 角谷 忠一 〃 一二年 三月 一三年
第九代 阿保 卓 昭和一一年 四月 三年
第一〇代 清水 省吾 昭和一四年 四月 六年一月
第一一代 高市長太郎 〃 二〇年 五月 四年
第一二代 清水 省吾 〃 二四年 五月 一〇年四月
第一三代 林 敏雄 〃 三四年 九月 五年七月
第一四代 安木 善政 〃 四〇年 四月 二年
第一五代 水無瀬秀也 〃 四二年 四月 五年
第一六代 田村 安蔵 〃 四七年 四月