青年学校の廃校

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 戦後の混乱時期において青年学校の生徒の出席状態が悪く、「青年学校教育の振興に関する件」(二十年十一月十日)―道内務部長より各市町村長、各青年学校長あて―によって、終戦後の青年学校教育に疑念をいだくことなく、男女大衆青年の資質を向上させるために出席督励の旨の呼びかけがあったが、世論は廃止の方向へ進み、同二十二年「教育基本法」の制定により、亀田青年学校も廃止され、二十三年三月三十一日、田中幸之丞校長以下それぞれ他校に転出することになった。