社会教育上必要欠くべからざる公民館設置については、戦後多くの人たちから要望されていたが、ようやく二十七年十一月に至って、その建築に着手することになった。
旧役場庁舎の材料を利用して、新庁舎の隣りに木造トタン葺平家建四九坪の公民館が十二月に竣工した。亀田村としては最初の社会教育施設であり、関係者一同の喜びが大きく、同月公民館使用条例を設定し、早速使用を開始した。
青年団体、婦人団体などの利用が多かったが、三十九年九月に至り、公民館運営審議会において、前記(九、町づくり人づくり)のように亀田高等学校校舎建築問題に関連し、その打開策のため、公民館を同高校の仮校舎に使用する案について了承を得、せっかくの社会教育施設も一時閉鎖せざるを得ない状態となった。