世帯数 七、四四六世帯
人 口 三万一三七人 男 一万四、六七七人 女 一万五、四六〇人
昭和三十六年九月末人口二万〇三四人から四年七か月で一万一〇〇人の増加となった。このころになっての増加地域は、富岡、港、昭和、赤川通、本通、中道などの地域へ拡張してきており、人口も年間二、五〇〇人以上の増加があるものと予想された。
このような増加ぶりで進むなら三年後には四万人を越えるのではないかと予想されたが、昭和四十三年六月末人口を、四十年十月と比較すると次のようになっている。
[字別人口表]
このなかで、特に増加率の高いのは赤川通で二三七パーセント、以下昭和一七八パーセント、港一六〇パーセント、鍛治一五四パーセント、富岡一五三パーセント、中道一三五パーセントと続いている。増加数の高いのは富岡の三、五一〇人で、続いて昭和、港、赤川通、中道、本通などで、合計九、八一五人の増加である。
このような人口急増の理由としては、前にも挙げているが、亀田町が概して交通便利であること、土地が豊富でありかつ都市に近いこと、函館市には開発の可能性が少ないことなどの諸原因があるが、この傾向は当分続くものと思われた。
函館市からの転入者は全体の三分の二以上もあり、ここ二年九か月で約一万人が当町に転入している。このように増加が続くならば、昭和四十五年の国勢調査では五万人を越え、道内町村人口最高の登別町(六月三十日現在四一、八〇〇人)を抜き、道内第一位になるであろう。