市制昇格準備

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 亀田町が昭和三十七年一月一日、町制を施行した当時の人口は約二万人であったが、その後約十年間に三万四、〇〇〇人の増加となり、昭和四十六年六月末現在で五万四、一六八人になった。この間において町の態勢はひとり人口増加面のみならず、家屋建築状況、産業構造、官公署設置、教育文教施設、道路建設、衛生施設など全面的に拡張進展をみ、堅実な歩みを続けてきていたのであるが、昭和四十五年三月、通称「三万都市法」の国会通過により、当時五万人に近かった町民から市制施行を望む声が盛り上がり、町内有志より町長並びに町議会に対し、早期市制施行実現要望書の提出がなされた。
 一方町議会において、住民有志から提出された市制施行要望書も「住民の意志を充分把握し、最大の努力をするよう」との要望が付され、満場一致で採択になった。吉田町長は現在の状況からして、函館市との合併が早期に実現することは困難であると判断し、四十五年十二月十四日、町議会において市制施行の方針を表明し、市制施行への方向づけが決まった。従って、早期実現を目標に、道関係に陳情する一方、役場内に「市制施行準備室」を設け、本格的に市制昇格への準備に取り組んだのである。以下市制施行実現までの過程をたどってみることにする。