(写一)市制施行申請書
昭和四十六年九月九日
北海道知事 堂垣内 尚弘 殿
亀田郡亀田町長 吉田 政雄
亀田町を亀田市とすることの申請について
地方自治法第八条第三項の規定により、昭和四十六年十一月一日から亀田郡亀田町を亀田市といたしたいので、関係書類を添えて申請します。
添付書類
一 市とすることを必要とした理由
二 市 名
三 町議会の議決書及び会議録の写し
四 町民の意向
五 概況書及び付表
ア 概況書
(一) 沿 革
(二) 位置・地勢・気象の状況
(三) 人口増加の状況
(四) 産業の現況と将来について
農業 工業 商業 観光
(五) 道路交通の現況と将来について
道路 交通
(六) 文教施設等の現況と将来について
(七) 財政の現況と将来について
(八) 将来の都市計画について
(九) 函館市との合併問題の経緯について
イ 付 表
別表のとおり
六 図 面
ア 一万分の一図 イ 中心市街拡大図 ウ 都市計画図
七 写 真
一 市とすることを必要とした理由
ア当町は明治三十五年に二級町村制の施行により、亀田外五か村戸長役場を廃し、亀田村と改称されてから七十余年、その間昭和三十七年に町制が施行されて現在に至っております。
平坦、肥沃な地勢と温暖な気象条件から、古くから農耕に適し、道南の穀倉とうたわれておりましたが、函館市に接する地の利もあり、人口は逐年増加の一途をたどり、更には将来計画による函館圏の中核的位置づけもされ、現在では農村形態から完全に商工業を中心とした都市形態へと進展し、人口も五万三、六〇〇人(四十六年五月末)をこえる現況にあります。
当町は、広大な開発用地と、函館市と接している関係から、地理的にも交通の要衝にあり、大規模な住宅団地、また道南の流通中枢機能としての流通センターの立地など、最も優れた条件を有し、この前途はまことに洋々としたものがあります。
このような地理的好条件と広大な開発用地など、十分な要件の上にたって、更に将来への飛躍的発展を期するため、都市計画による新規開発、商店街の形成、工場誘致、それに又文教都市としての位置づけもできる道教育大附属小・中学校、同幼稚園のほか、私立の短大、高校など同規模の都市に比べてその数も多く、将来人口を展望した住宅団地開発、道路交通網、上・下水道、し尿処理等の衛生施設の計画も完成し、中核的都市として必要な環境整備を強力かつ意欲的に進めつつあります。
イ以上の現況を見つめながら、当町では市制を施行することによって、より以上の行政水準をたかめ、住民に対してよりよいサービスを提供したいと考えております。
人口は、四十五年国勢調査の五万六二三人から四十六年五月末現在で、すでに五万三、六〇〇人をこえており、産業構造も都市的業態に従事する世帯主とその家族も含め全体の八七・六%を占め、また市街地を形成している家屋の連たん状況も八六・六%で、国道・道道も市街地をふくそうしており、計画の進行に伴って理想的な中規模都市として住み良い亀田とするよう努力しております。
ウ当町は、市となる条件が整っていると判断しております。先にも申し上げているように、函館市と接しているため、経済の成長に伴って、設備投資による規模拡大には多くの用地を必要とし、これら企業は当町の国道五号線を中心とする昭和地区に集中し、製造業だけでも六〇企業が進出し、一大工業地帯となっております。
人口、連たん戸数、産業構造も先に申し上げましたとおりであり、官公署も函館海洋気象台、道立高等職業訓練所、道警運転免許試験所など二五、学校については高校三、文化施設も町公民館、青年研修所、それに現在建設中の道南町村一といわれる福祉センターなど一〇、そのほか町上水道、都市下水路、衛生センター(し尿処理場)、バス、函館市電、銀行二、会社工場二二〇(資本金百万円以上)、病院三、診療所一八などであり、都市施設として現在進行中のものも多くあります。町民の担税力も他都市に比して決して遜色なく、今後の発展状況からみて財政もかなり好転する見込みであります。
以上のことから当町が市となるべき要件は十分満たされているものと考えております。
エ当町の住民は市制を施行することに賛成しております。
前段申し上げておりますように、当町の人口は急増に急増を加えており、五万人をこえる当町住民としては「三万都市法」の施行によって、にわかに市制を望む声が盛り上がり、急速に進展する都市化を、市民意識によって建設する意欲にもえております。
町議会でも、町民よりの市制実現要望書を、精力的な調査によっていち早く採択しており、住民は早期市制実現を望んでいるわけであります。
以上の理由から、亀田町を市とする申請を行うことになったものであります。
二 市 名
亀 田(かめだ) 市
三 町議会の議決書
議案第一号
亀田郡亀田町を亀田市とすることについて、地方自治法第八条第三項の規定により、昭和四十六年十一月一日から、亀田郡亀田町を亀田市とすることを北海道知事に申請するものとする。
昭和四十六年九月七日提出
亀田町長 吉田 政雄
昭和四十六年九月七日
原 案 可 決
亀田町議会議長 藤谷久三郎印
四 町民の意向
当町は、昭和三十七年に町制を施行しましたが、当時の人口は約二万人で、四十年の国勢調査には二万八、八一三人、その後年間四千人から五千八〇〇人の人口増加は他市町村に類をみない増加率で、昭和四十五年国勢調査では五万人をこえたわけであります。
この間、四十三年(人口三万九千人当時)に新市制実現全国期成会からの強い入会要望もあり、その趣旨に賛同する意味から同会に入会したわけであります。昭和四十五年にはいり通称「三万都市法」が国会を通過するやにわかに町民より市制施行を望む声が盛り上がり、同年三月に町内有志から、町長と町議会に対し、早期市制実現の要望書が提出されたことから、町議会に「市制調査特別委員会」が設けられました。
この特別委員会は、十三名の議員で構成され、市制についての調査と各関係市町の視察など積極的な審議が続けられ、六回にわたる委員会審議の結果、要望書を採択と決め、昭和四十五年九月二十九日の臨時町議会において市制実現の要望書は委員長報告どおり、満場一致で採択となったわけであります。
この採択にあたっては、町理事者において住民の意向を十分に把握し、要望に対し最大の努力をするよう付帯意見がありましたので、昭和四十二年から続けている移動町長室、紙上町長室、地区懇談会などで、これらについて積極的に町民の意見を求めたところ、各会とも反対の意見はまったくありませんでした。
しかし、これらの会合だけでは、直ちに町民全体の声であるとはいえませんが、広報紙などでの周知も行っており、人口急増のすう勢はますますその度が加わっている現状から、市制実現は当然のことと住民は理解しており、市制に対する賛意が大勢を占めたと判断しております。
(五 概況書 六 図面 七 写真は省略)