戸長役場とその管掌各村

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 明治十四年一月二十一日、初めて亀田村と桔梗村に戸長役場を置くことになった。
 
  亀田村戸長役場
   亀田村 赤川村 鍛冶村 神山村 下湯川村
  桔梗村戸長役場
   桔梗村 石川村 大中山村(『亀田村郷土史』)
 
 『函館毎日新聞』(明治十四年二月二日)によると、左記の布達があり、亀田村戸長役場に戸長を置くようになった。
 
 「当管内戸長役場の内へ更に左の通り増加候条此旨布達候事。明治十四年一月二十日 函館支庁開拓大書記官 時任為基 亀田郡の内亀田村、鍛冶村、神山村右へ戸長一人」その後の新聞による辞令面などから推して、戸長役場の管轄は次のとおりであったと思われる。
 
  亀田村戸長役場
   亀田村 鍛冶村 神山村
  桔梗村戸長役場
   桔梗村 石川村 赤川村 大中山村
 
 合併分割は官命により、住民はそれに従っていたもので、当時の布達はそれを証明している。
 
  明治十四年七月八日 当庁管下町村の内別紙の通り合併分割並改称候条此旨布達候事
                          函館支庁開拓権小書記官 有 竹 裕(『北海道志』)
 
 このような布達によって、村の合併分割、改称が行われた。