『北海道区制釈義』(石森憲治著)によれば、区およびその区域の指定の任にある者は、内務大臣であること、有力の区を造成し維持するには、国の利害より打算して上級官府のみる所をもって定めること、町村の力が豊富で、これを区に変更してもその負担に堪えると認めた場合に行うこと、町村会の機関がないので意見を徴することができないが、戸長、支庁長あるいは総代人の意見を聴くのも一案であること、町村を合併することは少しも町村において損失にならないこと、結論的には北海道庁長官は上級官府に許可を得て合併を決定すべきもので、国家統一に何の妨げもないなどとしている。
亀田村の場合は全村でなく、分割合併であり、しかも、分割した部分は財政的にも豊かであったと考えられるが、残った部分は、それに比較して遜色があったと思われる。意見を聴くといっても、それは形式的であり、官制によるものと推察され、町村を合併することは少しも損失とならないとあるが、分村合併のことは区制釈義では明確にされていない。
亀田村の残りの部分は、他の五村(鍛冶村 神山村 赤川村 桔梗村 石川村)と共に六か村戸長役場において統治されることになったわけである。
次に『北海道区制釈義』の概要を掲げる。
北海道区制釈義(明治三二年一〇月二日発行)
北海道庁事務官 殖民部長 永井 環
校閲
〃 参事官 地方課長 横山隆起
〃 地方課員 石森憲治 著
第一欵 区及其ノ区域
第一条 「此ノ勅令ハ北海道ニ於テ区ト為ス地ニ行フモノトス」
○ 北海道庁管轄内ニ於テ一都会ヲ成シ若シクハ最繁盛ノ地ニシテ将来区ト為ス地ニ施行スベキモノトス指定ノ任ニ在ル者ハ内務大臣トス
第二条 「区ヲ変ジテ郡内ノ町村ト為シ又ハ郡内ノ町村ヲ変ジテ区ト為スコトヲ要スルトキハ内務大臣之ヲ定ム(後略)」
○ 区ハ内地ノ市町村ノ如ク必ズシモ従来ノ区域ニ由ルヲ原則トセズ是ヲ以テ有力ノ区ヲ造成シ維持スルニハ宜シク国ノ利害ヨリ打算シ内務大臣即チ上級官府ノ見ル所ヲ以テ之ヲ定ムルナリ
而シテ区ヲ変ジテ郡内ノ町村ト為スハ凡ソ区ノ力貧弱ニ陥リ其ノ負担ニ堪ヘス既ニ其ノ本分ヲ尽スコト能ハザル場合即チ自治体ヲ支フルコト能ハズト認ムル時ニ行フモノニシテ又郡内ノ町村ヲ変ジテ区ト為ス場合ハ前ノ場合ト正反対ニシテ町村ノ力豊富ニシテ仮令之ヲ区ニ変更スルモ負担ニ堪ユルノミナラズ尚其ノ体面ヲ全クシ得ルニ足レリト認ムル時ニ行フモノナリ 固ヨリ此ノ変更ハ将来利害得失ノ関スル所極メテ尠カラザルヲ以テ容易ニ行フモノニアラズト雖モ本道ノ如キ拓殖ノ進歩ニ伴フテ区町村ノ盛衰民力ノ消長ハ漸次此ノ変更ヲミテ頻繁ニ至ラシムルモノアル可シ(中略)
而シテ茲ニ区会及町村会ノ意見ヲ聴キトアルモ尚未ダ区制及町村制ヲ施行セザル地ニ在リテハ之等ノ機関ヲ有セザルヲ以テ其ノ意見ヲ徴スルニ由ナク(中略)此ノ場合ハ町村会ノ職能ヲ行フ者即チ当該町村戸長支庁長ノ意見ヲ聞クノ外ナシ 尤モ北海道庁長官ニ於テ総代人会ノ意見ヲ聴イテ処分スルモノ亦時ニ臨ンデ一種便宜ノ方法ナラント思ハル(中略)
町村ヲ区ニ合併スルハ毫モ町村ニ於テ損スル所ニアラズ寧ロ町村ノ位置ヲ区ニ進ムルカ為ニ却テ其合併セシ土地ハ地価昂騰シ其他得ル所蓋シ一二ニ止マラザル可シ 故ニ北海道庁長官ハ上級官府ニ許可ヲ得テ之ヲ決定スベキモノナリ之レハ国家統一何ノ妨害トナルコトモ之レ非ザルコトトス