「亀田村会議録」(昭和二十一年七月十八日)の記録(この文字面が読み難く、内容が判明しない)の大要は次のとおりである。
○合併期成同盟会からの請願が取り上げられた模様である。
○合併後の住民各個人の税金負担についての質疑応答があった。
○合併に関し、公聴会、懇談会式の会議をもちたいこと。
○市側と合併についての条件並びに実情を話し合った様子である。
「事務引継書綴」(二十二年四月七日、元亀田村助役伊藤甚一郎より亀田村長佐々木善松あてのもの)には、
「函館市との合併問題について―数次の村会並びに村常会等に於て協議をせる問題なり。曩(さき)に村会議員其の他を以て委員会を設け、内地府県における合併市町村の実地調査、其の後に於て隣接湯川町の合併事情等も調査は完了して居るものなり。然し乍ら村民の大勢は未だ決定の気分なきものと認む。函館市の申出に対し、前村長より口頭を以て引継を受けたるも、地方制度の改正により村長村会議員の民選後に於て審議の上、正式回答すべく一応其旨中間回答を為し置きたり。具体的説明は口頭を以て行うものとす。」
とあって、函館市からの申し入れにより、亀田村においても委員会を設置後は、熱心に調査研究を続け、視察も終え、市との懇談会も開くなど、慎重な態度であった。また、住民のうちからも合併期成同盟会による請願もあるなど、ようやく合併に対しての動きが根強くなってきた。
以上を通じて、合併の動きは正式に昭和十三年ころ、函館市の申し入れによって表面化したことが考えられるが、その後十六年十二月、大戦に突入したこともあって、合併問題も進捗することなく、終戦後、亀田村会議録にもあるとおり、合併期成同盟会が結成されて請願するなどの活動が行われたり、村会でも検討されていた。また、事務引継書には、特に合併問題を取り上げ、村長、村会議員の民選後に解決することを望んでいる。