函館市は昭和三十二年三月、市議会に「市町村自治振興特別委員会」を設置し、七月に至り、亀田村に対し合併を申し入れた。
謹啓盛夏の折から貴台益々御清祥のこと慶賀の至りに存じます。さて貴村と函館市との歴史的関連性につきましては、今更贅言を要しないところでありますと同時に、その地理的関係におきましても、或いはまた住民の感情的観点からしても、既に境界線のない不離一体の関係にあることは、万人の認めるところであると信じます。従いまして行政区画は一応異にいたしておりますが、過去における相互の施策につきましては、あくまでも市村住民共同の福祉を基本的方策として、相寄り相扶けることに努力して参ったことは勿論であり、将来と雖もこの信念の下に相互の発展に努めたいと考えている次第であります。
以上の重要な関連性に立脚したところの貴村と函館市の全村合併問題こそは多年の懸案であり、且つ相互住民百年の繁栄上凡そ絶対不可欠な原則として、幾度か取り上げられてきたことは御承知のとおりであります。
その前提として先ず昭和二十四年四月、貴村住民の深い御理解と当時の理事者並びに村議会各位の絶大なる御尽力により、港湾地線を含めた重要地域の一部合併が実現したのであります。その結果、相互の行政運営上極めて有意義なる施策を樹立実行しつつあることは御了知のとおりであります。
今、当時の感激を追想してみますならば、昭和二十四年二月二十八日、第三回臨時亀田村議会において本案が議題に供せられましたときの貴村理事者の御発言に、「函館市と亀田村は実に密接不離一体不可分の関係にあり、市の発展は実に本村の発展であると考えられる。合併により市の発展を願うと同時に将来益々市村の進展を期待し、住民の幸福のため、満場一致可決せられんことをお願い致す次第である。」と述べられ、また阪本三番議員並びに長谷川四番議員からも、「市村の将来の発展を期待し、住民の幸福のため本案に賛成する。」ものであり、「本日ここに本案が上程され、吾々は前途に光明を見出した次第である。区域住民を代表し満場の御賛成をお願いする。」と、以上のように、何れも相互の繁栄と住民の幸福を念願した御発言であったと信じ、衷心から敬意を表したのであります。
その後今日に至る僅々八年の間における貴村の著しい発展と、一方函館市における都市形態の急激な変遷とによって、地理的、経済的、文化的、その他あらゆる面に今日程唇歯不可分の関連性を痛感したときは、恐らくなかったと言っても過言でないと思うのであります。
たまたま政府におきましても御承知のとおり、新市町村の健全な発展を図る遠大な理想のもとに「町村合併促進法」「新市町村建設促進法」等を制定し、着々その目的を達成しつつある事実などは、一に全国地方自治体の住民がよく時勢を認識し、これが実行に努力していることを物語るものと推察され、国家のため誠に力強い感に打たれるものであります。勿論、新市町村合併の成果は、一朝一夕にして期し得られるものではなく、新市町村建設の実行により高められる自治協同の意識に基づき統合強化される実力を十二分に発揮してこそ、新しい幸福と繁栄が創られるものと考えますので、その基礎建設に一日も早く全力を捧げることこそ私共の最高の任務であると確信する次第であります。
以上貴村と函館市との密接な関連性と、新しい社会状勢の観点の上に立って、ここに三度貴村と函館市の合併の緊急な現実に直面したことを卒直に申し入れると共に、貴村住民の御理解を願いたいと存ずるものであります。
もとより、なぜ合併が必要であるかその具体的理由の説明など、今更改まって詳述しなければならない必要もないと存じますが、結論するならば、地理的な面において或いは経済的面からの考察、或いはまた文化的施策の上から考えましても、例えば都市計画の完全樹立、道路交通網の施設、農村行政特に生産需給の完全計画、理想的教育施設の充実、その他大きな問題としては北海道綜合開発計画の道南における共同施策の関係等々幾多の重要課題を取り上げましても、最早、貴村と函館市の合併問題は一日もゆるがせにできない段階に立ち到ったことを痛感されるものであります。
この問題につきましては、過去において多少の異論もあったようでありますが、今こそ合併実現の好機到来と信ずる次第でありますので、ここに二十五万市民の総意に基づき、合併の正式申し入れを致す次第であります。
幸いに貴村全住民の御認識と貴職並びに議会一致の御理解によりまして、早急に御賛意下さるよう衷心より希望する次第であります。
なお、本問題を円滑に促進するため、貴村においても特別委員会を設置し、一日も早く隔意なき意見の交換ができますよう特段の御配慮を願いたいと存じます。
昭和三十二年七月二十五日
函 館 市 長 吉 谷 一 次
函 館 市 議 会 議 長 片 桐 由 男
市町村自治振興委員会委員長 高 木 直 行
亀田村議会議長 工藤 久寿保 殿