合併町長

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 前回(昭和三十八年四月)の町長選挙において、一三七票の僅少差で敗れた吉田政雄は、雪辱を期して、再度近江新三郎町長と争い、四十二年四月二十八日、亀田町長に当選した。町長選挙には川井藤五郎も立候補し、三者共に四、〇〇〇以上に達する得票であった。
 吉田町長は合併に対して賛成の立場を明確にし、四十四年一月の『広報かめだ』に記載した新春座談会において、「新年にあたり皆さんに申し上げたいことは、昭和四十四年という年は、町民一同で合併問題について大いに研究し、論議し合う年にしてほしいことです。これは亀田にとって最も重大な間題であるからです。」と発言して、その積極的な姿勢を示していた。
 自ら「合併町長」と称し、機会あるごとに合併を説き、例えば『広報かめだ』の毎年一月号には、左記のように合併を主張し続けていた。
 
 「私は今年こそ亀田町民の一人一人が腹の底から真剣に取り組んでいただきたいのは、函館との合併問題であります。函館と亀田とは歴史的にも地理的にも全く一つであり、無理に二つに分けているのであります。(中略)函館との一体化は、亀田町民の生活をよくし、道南の振興に役立つものと信じております。」(広報かめだ四五年一月号)
 
 「市制を施行いたしましても、函館との合併が必要でなくなるわけではありません。実態はいよいよ一体化の方向へ進行するでありましょうし、また、そうすべきであると信じます。」(同四六年一月号)
 
 「一年前の今日、この紙上で私は『市制施行の年でありますが、函館との合併が不要になるわけでなく、実態はいよいよ一体化に進行するであろう』と申し上げました。」(同四七年一月号)
 
 「昨年来、急速に高まりつつあります函館市との合併は、ぜひとも実現したいと考えております。亀田と函館の合併問題については、機会あるごとに私の考え方を述べてきましたし、市広報で特集して市民各位に材料を提供してきました。本年は長い間、調査研究を続けてきた市議会の『亀田市函館市自治振興調査特別委員会』の結論も早い時期に出していただくことになっておりますし、具体的資料の提出もし、十分市民各位の意見を盛り込んで参りたいと考えております。」(同四八年一月号)