合併促進要望書提出

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 昭和四十三年九月十四日、「亀田町函館市合併促進期成会」の会長成田市太郎より左記の要望書が町議会議長に提出された。
 
      亀田町函館市合併促進要望書
 わが亀田が一昔前の轍を頂門の一針として、かがやかしい大道南圏建設の先鞭たらんとして一日も早く函館市との合併に踏み切るべきであり、それはむしろ遅きに失した問題というべきであります。
 顧みますと北海道の風雪百年は根や幹の時代であって、当然風雪の後には必ず花を開き実を結ぶ時代の来ることを信ずるのであります。
 函館が五港の一つとして日本の夜明けに一役を買い華々しいデビューに彩られながら、その後辿った道は必ずしも期待通りでなかったことは、函館を中心とする道南が偸安の夢をむさぼり、また函館は他町村に積極的に働きかけをしようとせず隣接町村は唯在来の自己に甘んじて他地域の発展には拱手傍観全く無関心だったようでありました。このような違和は一日のおくれが幾何級数的意味を持つ現代に通用する筈もありません。従って破綻は最少限にくい止めねばいけないと思います。
 広軌鉄道にしなかった我国の鉄道建設計画の欠陥が、今日如何に不便をもたらしたか、また後藤新平の大東京建設計画が実現されなかった悔いがどんなものであったか、歴史は我等に尊い教訓を与えてくれます。
 実に亀田と函館は本来唇歯輔車の関係にあった。これを実らせなかったのは地域住民の怠慢であったと云えることです。とは言えここで死児の齢を数えるのではありません。函館圏の礎石を合併によって一日も早く確立されますよう強く要望申し上げる次第であります。
      昭和四十三年九月十四日
             亀田町函館市合併促進期成会長 成 田 市太郎
     亀田町議会議長殿