右の委員長に吉田市太郎、委員に渡辺茂、田中市郎、下間善太郎、坂井正治、亀谷栄、小沼健太郎の七名を委嘱して、市史編さんについて意見を聴くことになり、第一回委員会を七月二十日に開催した。その後も会合を重ね、翌年一月、市長および市教育委員会に対し『市史編さんに関する答申書』を提出した。同書は、「一、まえがき 二、編さんの基本方針 三、組織 四、編さんに必要な予算について 五、資料の収集について」の項目から成り、市史編さんの緊急性を説き、よりよき市史発行のために必要な点を挙げ、理事者に善処するよう求めている。
四十八年度はこれを受けて、市史編さん審議会条例を制定し、前記の編さん準備調査委員を引き続き審議委員に、更に佐々木善松、半田政吉、市側から教育長、市民部長を委員に加えて市史編さん審議に当ることになった。また専任の編集員一名を嘱託とする予算も計上した。
事務局は市教育委員会におき、四十八年度は編集方針の決定、資料収集などに力を入れる予定であった。しかし、函館市との合併問題が具体化するにつれ、亀田市史の編さんの仕事は将来函館市史編さん事務局の中に包含されるものと予想されるため、函館市との関連を特に意識して行かざるを得なかった。
編集員に相沢新次郎を委嘱したが、間もなく函館市との合併が決定したので、審議会の意見として亀田市史の編さんを合併後も継続して行うこと、函館市史の別巻として亀田市編を発行することなどを函館市に申し入れ了解を得た。