四十八年十二月一日、函館市と亀田市の合併により、相沢新次郎が改めて函館市史編集員の委嘱を受け、また合併により函館市参与になった柏崎賢次郎が新たに市史編さんについて協力することになり、二人で亀田市編を担当し、事務所を旧亀田市福祉センター内に置いた。
四十九年九月、事務局を一体化して、二人は函館市史編さん事務局に出勤することになった。また、函館市史編さん審議会の委員に旧亀田市側から亀谷栄、小沼健太郎を委嘱した。
亀田市編の編項目構成については、故小島前編集長のご助言、新北海道史総編集長高倉先生のご指導をいただき、四十九年八月十六日の審議会において審議し、編集の骨格形成を終え、第一段階を越えるようになった。
その後、原稿執筆については五十一年四月七日の審議会において左記のとおり依頼することを決定した。
第一章 先史の亀田 千代 肇
第二章 大地にいどむ(第一―二節) 小沼健太郎
(第三―七節) 亀谷 栄
第三章 明治の新風 小沼健太郎
第四章 都市近郊農村の歩み 坂井 正治
第五章 農地解放と農村の変容 相沢新次郎
第六章 都市化の波 相沢新次郎
教育・宗教 柏崎賢次郎
合併の歴史 柏崎賢次郎
以上のように分担することになり、四月二十八日、原稿執筆委託契約を結び執筆の打合せを行った。
亀田市編の発行は、函館市史通説編第一巻発行後に計画されていた。合併当時は五十二年三月に完了する予定であったが、通説編第一巻の発行が大幅に遅れることになったため、五十四年度に順延されるような状態であった。市史編さん事務局としては、刊行物のないまま過ごしているようなことを避け、順序を替えて亀田市編を先に発行する案について五十二年一月七日の審議会において協議の結果、原案どおりに決定した。
いよいよ亀田市編発行ということになって、日程を組み本格的に編集に当ってみたら、なかなか大変なものであった。原稿整理に予想以上の時間を費やしてしまった。このままでは年度内の発行はむりかもしれないといった状態となり眠れない晩が続いた。相沢さんと私だけでは手不足となり、事務局挙げての協力体制を作ることになり、ようやく最終的なまとめができあがり、高倉先生の監修を受ける段階にたどりついた。
省みると、盲蛇のことばどおり、歴史について無教養なままにこの仕事を引き受けたことは、まことに軽卒であったと思う。仕事に取り組み、これはとんでもないことになったと分かりかけたころには、後に引くにも引けない立場になっていた。しかし、できれば逃げ出したいと何度も考えたことだった。
合併以前には、市史に専門的な見解をもった吉田市長や教育委員会の敦沢課長、亀田市史編さん審議会の各委員、合併後は函館市史編さん審議会の各委員、さらに故小島前編集長、福田前編集次長(後に編集長で退職)、田畑編集員(現編集長)、笹編集員(退職)、渡辺道子編集員、伊藤事務局長、岩船前係長、兼平係長、金津・紺野・菅原・辻各主事のご指導ご協力によって、ようやく日の目を見ることができた。ただありがたく、感謝のことばがないほどである。
亀田に長く勤務したことが、いつの間にか市史編集という立場に置き替えられたのも運命であったかもしれない。私にとって亀田はすべてであった。しかし、力不足な私たちは亀田をよりよく描写できなかったことを申し訳なく思う。その意味では亀田は私にとってすべてであったということばは、取消さなければならないが、ただ亀田に対する愛着が不遜な表現となったことを諒解していただければ幸いである。
昭和五十三年十月
函館市史編集員 柏崎 賢次郎
函館市史 別巻 亀田市編
昭和五十三年十月二十日印刷
昭和五十三年十一月十日発行
編集発行 函館市
印刷 函館市末広町一番八号
株式会社 第一印刷