第二次世界大戦の敗戦から復興していった日本経済は、昭和三十年に入る頃から高度経済成長という文字が新聞雑誌に数多く登場するようになっていった。函館市に隣接する銭亀沢村もこの流れの中で衣食住すべてにわたる生活改善への要求が高まっていく。
銭亀沢村議会は、昭和三十六年一月自治振興調査特別委員会を設置して継続的に函館市との合併問題を調査することとした。しかしこの時はそれほど積極的な動きを見せないまま議員の改選を迎え、議員改選後の昭和三十八年六月、新議員より自治振興調査特別委員会が再設置され、徐々に函館市との合併を考える方向に進んでいく。その要因としては、農業漁業などの第一次産業の不振で税収が落ち込んだこと、そんな中でも住民の生活・環境問題に対する意識・要求が高くなり、特に、上水道の布設の要望が強くなったこと、し尿も従来のように畠の肥料として使うことがなくなり、その処理についての要望がでてきたことなどが上げられている(吉田正明「銭亀沢村時代の様々なこと」『地域史研究 はこだて』第一九号)。