先史時代の人びとが活動し、生活を営んでいた痕跡である「遺跡」は、それぞれある一定の立地条件に基づいた場所に広がりをみせていることが多い。この条件には、生活飲用水の確保ができる河川や沢の周辺にあり、また陽当たりや風当たりなどの生活環境が恵まれている平坦地があげられる。さらには、動植物や魚介類などの食料獲得、物資運搬や人の移動が容易となる場所にあることも必要と思われる。
このような先史時代の遺跡は、これまでに函館市内では一〇〇か所以上確認されていて、そのうち約九割ほどが縄文時代に属するものである。これらの遺跡の分布が集中する場所は、市内西部や東部の海岸段丘上や、北部から東部に広がる河岸段丘上などである。古くは、約一万三〇〇〇年前頃の旧石器時代のものがあり、これに続く縄文時代は、約九〇〇〇年から二三〇〇年前の長期にわたっていて、早期・前期・中期・後期・晩期に区分されている。これに続き、約一三〇〇年前頃までは本州地方の弥生時代と同時期にあたる続縄文時代となり、さらには擦文時代へと移行する。なお、これら先史時代の遺跡の分布傾向としては、すべての時代のものが同一の場所に集中して重複するようなことはなく、各時代ごとそれぞれの環境に適した立地となっている。
この中でも、市内東部にあたる銭亀沢地区は各種の立地条件に恵まれた場所が多くあり、とくに函館空港滑走路が延長する台地の上には大規模な遺跡群の存在がある。これらの遺跡の内容は、これまでの先史時代の定説を変えるほどのものがあり、注目に値する。