函館および周辺の遺跡において、それぞれの時間的、空間的なつながりは一体どのような関係にあったのだろうか。これまで見てきたように、時期によっては一定の場所に集中するものがあったりするが、必ずしも同一の丘陵上において連続的に居住することはなさそうである。市内および周辺部の遺跡については、何らかの形でつながりがあったことは疑いないが、今のところどの程度の範囲まで関連性があったかについては明確になっていない。
次に、津軽海峡を挟んだ東北地方北部と北海道地方南部間の文化の関連や共通性を考えると、ほとんど表裏一体であった様子がうかがえる。おそらく、各時代にわたって東北地方と北海道の間を往来した集団によって、さまざまな物質文化の活発な交流がなされ、相互に影響を与えていたのであろう。一般的には、東北地方から北上する文化が北海道に定着し、その場所において発展していった可能性が高いと思われるが、反対に南下する場合も少なからず存在するようである。ここでは、多岐にわたる移動や交易により、海峡を挟んだ両地域がどのように結びついていったのかを考えたい。