銭亀沢村は、昭和四十一(一九六六)年十二月一日に函館市と合併している。この時期は、いわゆる「高度経済成長期」にあたり社会変化の激しい時期であった。また、住民の要求と各自治体の財政規模との矛盾が問題化してきた時期でもあった。
この合併は、このような社会背景のなかで、函館空港が銭亀沢村に決まるに際し、「飛行場がなければ交通網から置き忘れられ現代の都市発展は望めない」(昭和三十二年三月二十二日付「道新」)と広域行政の認識に立つ函館市と所得格差や教育問題そして生活環境の整備など「大きな市になって幸せになろう」(市村合併説明懇談会テープ・市立函館図書館蔵)という銭亀沢村との利害が一致して実現に至った。
本節は、この市村合併を軸にその前後の産業構成・生活環境の変化をとおして銭亀沢の地域社会の変化について概観してみたい。