[銭亀沢・函館周辺の自然環境変遷のみどころ]

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 銭亀沢の地形環境をより深く理解するためには、この地区のみにとらわれず、もっと広い範囲、たとえば函館全体の中に銭亀沢を置いてみたほうがよい。
 銭亀沢を含む函館市の地形やその発達史については、昭和五十五(一九八〇)年に刊行された『函館市史』通説編第一巻において、瀬川氏が詳しく紹介した。それ以後、今日までの間にとりわけ、「第四紀学」という自然科学の総合分野において、北・東北日本における海岸段丘や活断層、火山活動の諸知見が急速に増加し、函館周辺の地形環境変遷についても新しいイメージを描けるに至っている。
 ところで、ここでおもに取り上げようとする地形の成り立ちを追うには、どのくらいの時間スケールが必要であろうか。地質そのものの起源はともかく、今日見る日本列島の概形が出来上がってきたのは、第四紀と呼ばれる地質年代のもっとも新しい時期、すなわち約一八〇万年前から現在までの間とされている(藤田、1983)。四五億年ともいう地球の歴史からみれば、きわめて短い期間といってよい。なかでも函館周辺の人びとの多くが生活する台地や低地の形成には、とりわけ最終間氷期と呼ばれる約一二万年前から最終氷期を経て現在までの間のいろいろな出来事が関係している。まず、函館や銭亀沢の地形環境を解説する前に、道南の第四紀地史についての基礎的な事柄を、いくつか取り上げておこう。