「銭亀沢火砕流」は、いつごろ噴出したのであろうか。山縣ほか(1989)は、日高、十勝地域の火山灰との層序関係や、河岸段丘形成期との関係から、三万三〇〇〇年前から四万五〇〇〇年前の間と推定したが、さらに鴈沢ほか(1992)は、胆振地方の銭亀沢降下軽石層がクッタラb2軽石流堆積物の直下に位置する(胆振団体研究会、1987・1990)ことから、クッタラb2軽石流の年代資料を参考にして、銭亀沢火砕流の噴出年代を四万年前よりやや古い時期と推定した。
この時期に噴出したとすると、当時の海岸は現在よりも五〇メートル以上は低かったことが知られているので、海底での噴火ではなく、陸上噴火であったことになる。氷期が終わった後の海面上昇により、火口は水面下に沈んだのである。
このように、銭亀沢は、約四万年前に、現在ではにわかに信じがたい破局的といってよいような火山活動を経験した。当時の銭亀沢は、おそらく瞬時にして高温の火砕流に襲われ、森林はなぎ倒され、焼き尽くされたことと思われる。実際にそのような現場が、銭亀沢では土採り場に現れることがある。また、火砕流に覆われたために、植物遺体が保存されてもいる。次にそれらによって、当時の銭亀沢の植生、気候環境を垣間みることにしよう。