オカではヨミブネの指示で綱の引き方を調節した。引き綱は、コシヒキをつけて引っ張った。大規模な網では片側で一〇〇人にもなった。「カミ負けた、シモ負けた」といいながら、均等に引くようにした。網が陸につくとコシヒキを掛けて引き上げる。ロープで網を絞ってロクロで巻くこともあるがこれは網を痛める。引き綱を馬でロクロを廻して引くこともあった。
地曳網はイワシを浜に引き上げる場合と、汲み船に移す場合があった。これは海岸の状況によるが、網が大規模になると沖で組む方法が主体となった。戸井方面では、ワク船を直接「フクロマ」に入れた。
フクロは口を締めて沖に出し、フクロからタモで汲み船に移した。カギでタモを押っつけてから引き上げる。この時には、陸で網を片づける人と、沖揚げする人に人数を分けた。汲み船で浜まで運び、モッコショイで陸揚げした。モッコショイは女の仕事で、若い衆が一人出たらツキモノとして女が一人つくことになっていた。
古川の木村漁場ではホッツが三隻あった。「ホッツ乗り」は三人くらい乗り、網をはずしたり、フクロの番をした。フクロがいっぱいになると、これを縛って海底に沈めておくが、目印にはダンブ(目印のウキ)を付けておく。大漁の時にはフクロに三つとることもあった。漁が一段落すると、フクロのクチを船に取り上げ、運び船で汲んで陸に運んだ。