〈カワサキ時代のイカツケ〉

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 カワサキセン以前にもイソブネを使用する漁もおこなっていたが、イワシ漁が思わしくなくなると、次第にイカ釣りへ転換する動きが出てきた。
 銭亀沢でも最初中古のカワサキ(アガリブネ)を購入し、イカ漁に進出し、後には動力船を導入し、戦後はイカ漁がイワシ漁に変わり漁業の中心にまで発展した。函館や銭亀沢のカワサキには先に述べたようなカガブネ、エチゼンブネ、エチゴブネの三種類があった。カガブネは若い人、エチゼンブネは年輩の人が好んだ。
 この地域ではカガブネが一番多くみられた。カガブネは船体の水切りがよく、ヒラキがきいて、スピードが出る船で、風上に向かって航行する性能に優れていた。外見上の特徴はミヨシが長く立ち上かっていた。
 一方、時化(しけ)に強いのがエチゼンブネであった。外観上もミヨシが太く水平に出ていて安定感があった。また、エチゴブネはミヨシが少ししか出ていない、などといった外観上の特徴は、当時を知る漁師から良く出てくる見方である。また越中ブネと能登ブネとは加賀ブネに似た船であった。
 根崎にはカワサキセンが五隻あったが、その内の三隻がカガブネで一隻がエチゼンブネ、一隻がエチゴブネであった。
 カワサキセン一隻には一四人から一五人が乗り組んだ。イカの漁場は恵山沖が一番であった。恵山までは帆走で行くが、風が悪いと櫓を押した。津軽海峡は潮の流れが恵山方面に向いているので櫓を押しても比較的楽であったが、帰りは帆を使わないと櫓を押すだけではなかなかつらい作業であった。
 櫓を押すときは、船頭は船の後部でトモ櫓を扱って舵を取り、そのほかに船縁からヨコモノを出し、それにロズクを付けて櫓を六枚立てた。ヨコモノをコベリが挟んでいる。櫓は交代で押した。
 沖に行ってアンカーをおろすと帆柱を真ん中にし、帆柱を中心に帆と櫓を結び、舵は引っ張りあげた。帆柱の長さは、船の長さより少し長いので、トモから一二、三尺はみでる。
 帆柱は普通二本で用心のいい人は三本積んでいる。その内の一本が主柱で一番長く、普通の帆走で使用した。時化た時立てる柱は短いもので念仏柱といった。時化たときには帆柱を倒して、両舷から出し安定させた。