イカ釣りでは、漁師は親方の船に乗せてもらう形となった。これをビンセン(便船)といい、乗り組む漁師を乗り子といった。乗り子は釣ったイカの何割かを歩(ぶ)として船主に払い、残りは自分のものとしてスルメに加工した。歩の割合はカワサキの時代では一割、動力船に代わってからは三割、後には四割となった。イカ釣りに使用する漁具や釣り針に付ける餌、食事などは乗り子の側で用意した。
また、漁師が株(かぶ)を出し合って、共同で一〇人乗りくらいの中古のカワサキセンを購入し、イカツケをやった。一株に対し一人が乗り組む権利があった。この場合は、歩を払う費用がなく釣ったイカは全部自分のものとなった。また、便船乗りがあった場合は歩を共同船の経費としたり、株仲間で分配した。
イカが良く釣れる時をナドキといった。ナドキには太陽や月、星の出や入りなどが関係し、イカは、日の落ちる頃が一番良く釣れるので、この時間帯だけを特にナドキという場合もある。アサイカ(明け方)、ヨイカ、サンコウのミツボシの出、ムジラボシの出など星の出や月の出、日暮れや日の出、シオ(潮)の流れなどを知るのが船頭の条件でもあった。
船上で釣る場所は板などで仕切って他人の釣ったものと混じらないようにしたが、この場所のことをマスといった。マスは船の甲板を仕切って作った。マスの幅はあぐらをかいたくらいで、上のイタゴ(板子)を一、二枚はずしてそこからイカを落とした。マスの位置によって漁獲高に違いが出るので、公平を期するため一日ごとにマスの位置を交代した。移動の方法は、両舷を千鳥に移動するのが普通であった。この際には船頭の位置はトモ櫓を扱う関係で移動しなくてもよかった。動力船になると船頭と機関長は移動しなかった。
潮の流れて来る側をカイコミ、下の方をハライダシといい、一般的にはカイコミの方が良く釣れたという。