トンボはヤマデともいった。古くはヤマデという言い方が多かった。瀬戸製の握り部分から真鍮の針金を二本出し、その先にテグス糸の先に針を付けたもので、深いところのイカを釣るものである。瀬戸ヤマデという言い方もあった。ヤマデは最初針金をまげただけのものであった。これに付けるハリはタケハリでモガを巻いて二〇匁の鉛のオモリを付けた。
トンボの針は最初は鉄トンボといって鍛冶屋が作っていた。これが鉛トンボに変わり、鉛の上に綿糸を巻いたカナマキ針になった。綿糸の色は紺色が多かった(現在残っているのはくすんで黒に見える)。これを三、四日使うと色がさめるのでイカの付きが悪くなるといって、イカ針屋で巻き直してもらった。歯車を利用した糸巻き器があり、一本いくらで巻いた。赤い綿糸を使うこともあったが少なかった。
カナマキ針の次には、ツノ針に変わった。ツノ針はカナマキ針に比べて高価であったが、巻き変える必要がないのと、イカの付きが違うといって広く普及した。材質は水中で光るものが良いとされ、牛のツノ、スネ、鯨の骨が安く、水牛、鹿、マッコウ鯨の歯、象牙が高かった。トンボ用の針は普通二本ずつ二組を用意した。針先が一段から二段ハリが使用されるようになったのは大正五、六年頃からである。
トンボはセキマキをすると伸び縮みがない。最初は隠岐のセキマキを購入した。ツノ針は函館市内にもイカ針屋があったが、佐渡から針の行商人もまわって来た。