コラム(女の仕事2)

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〈農作業〉
 銭亀沢の集落の背後の海岸段丘には畑があった。銭亀沢地区の男は出稼ぎや海の仕事にでるので、農作業は女の仕事となった。
 この地区の主な作物は、ジャガイモ、トウモロコシ(トウキビ、キミともいう)、マメ(大豆・小豆)、そのほか各種の野菜であった。ジャガイモは塩ゆでして主食代わりになったり、デンプンをとって保存用とした。トウモロコシは食用のほか、乾燥したものを粒にして、飼料用として出荷した。大豆は、自家用の味噌の材料として重要で、余裕があれば販売した。ほかには、大根、カボチャ、人参、キャベツ、ゴボウ、キュウリ、ナスなどいろいろで、主に自家用とした。
 畑を起こすのは足で踏むスキ(鋤)で、スキオコシといった。これに対し、平クワ(鍬)で起こすことをクワオコシといった。スキで起こした後にクワでたたいて細かくした。これをクワ叩きといった。クワで起こしたときにはこの作業は必要がないが、作業能率はスキオコシの方がよかった。馬のある家はプラオ(洋犂)を使用した。プラオには畝ありプラオと平起こしプラオの二種類があり、使い分けた。また、馬を持つ家に起こすのを頼むこともあった。この場合は一反歩単位で、現金で依頼した。畑を作る人をハタケマキといった。
 台地の入植地(鶴野・赤坂・石倉町など)では、漁村の兼業農家と違いアワ、ソバ、ヒエなどの雑穀類をはじめ、大豆、黒豆、ジャガイモ、トウモロコシなどを換金作物として作った。
 戦後はジャガイモと酪農をおこなった。酪農は「貸付牛」を一頭借り、種付けをして子牛が生まれたら返す方法である。夏場はケイ牧で夕方には家に連れて帰った。牛一頭を飼育するには五反歩の草地が必要であった。